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環境によって日々に表情を変化させ、やがて死滅して塵となる鉄。まさしく「命ある鉄」の原点と可能性の中に美を追求し続ける彫刻家が岐部氏である。

鉄は不思議な生き物です。硬くもあり、柔らかくもあり、冷たくもあり、温かくもある。そして汚れてもなお味わい深くなる。鉄は汚れた空気の中では苦しみの汗のように汚い色の錆を生じ、きれいな空気の良い環境の下では美しい錆を生じる。その錆は刻々と変化しながら鉄の生涯の中で、ある時、最も美しくなる時がある。その瞬間の美を創造しようと鉄に向かう。かつて彫刻は“人体像”と考えられていたが、それを根底から見直し彫刻とは何か、物の存在とはどういうことなのかを追求していく過程に現代美術の彫刻を見る事ができる。鉄にひとつ穴をあけるという行為や四角い鉄の角を削る行為によって生じてくる“こと”を表現する。ものを造ることではなく、いかに造らないかを表現することとも言える。(1988) 

表現の価値を超えてゆく現代美術に関心をもち、これまでの表現素材としての鉄に魅力を感じ作品を制作してきた。

鉄は私にとって、秩序を与えたり、構造をみせたりするのには、大変都合のよい素材である。

今回は、中でも表面性の強い鉄材を使い、内、外、間、接点、境界を原点として、より原初的に、彫刻のもつ表面そのものを提示したいと考えている。

(1994)

現況/1993 /真鍮 90×30×180cm

現況/1993 /鉄  360×15×15cm

地球の生命をいただいて誕生し、やがて再び地球に戻って返っていく. . . という意味では動物も植物も、鉱物さえも同じかもしれない。堅牢強固で永遠不変のように見える金属も、いつかは変化し、地球の一部に飲み込まれていく。“すべての学問は自らの起源を探る為にある”といにしえの人が言ったように、すべての芸術は心の起源を求める旅かもしれない。

 岐部氏は、素材に向かい合い、対話し、その意を汲み取って作品としていく彫刻家である。「数学のような明確さが好き。金属を素材とするのも、図面を引くという過程、引かないまでも頭の中で計算され尽くしていないと仕上げられないという特性が合っているかもしれない。」という怜悧さもありながら、作品を見る人をほっとさせる優しさが漂うのは、素材への温かい思いが根底に流れるからである。

 対や立方体をテーマにした作品を中心に、鉄などの金属、さらには木を素材とする作品まで、多面体の魅力で圧倒する岐部氏の作品群である。(2000)

現況 /1999/鉄  270×180cm  

現況/1988/鉄 70×70×70cm  

THE PRESENT STATE/1996 鉄 35×15×15cm

KATACHI ステンレススチール 130×130×130cm  

鉄を扱う彫刻家
いまだに彫刻とは何かを模索している。彫刻とは空気に触れる表面であり、空気に触れる波動である。彫刻とは虚実の狭間を行き来する。空間に構成するのではなく、空間を取り込む。空間や場の活性化。重力からの解放。作品が喋り過ぎないように「間」を意識する。

 

岐部琢美公式サイト 鉄を扱う彫刻家 Contemporary Artist

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